任天堂の「いま、むかし」散策、旧本社ビルはホテルに改装されるとか

巨大企業「任天堂」の創業の地を訪ねる、旧本社はホテルに改装予定

今日は仕事で京都をウロウロしてたのですが、とある交差点で威風堂々とした建物がそびえ立っているところで信号待ち。

京都発祥の世界企業、任天堂について

そう、ここは任天堂の新社屋、本社開発棟です。

任天堂じゃなくてNintendo。そこそこの年齢の方はご存知かと思いますが任天堂はもともと花札などをおもちゃ玩具メーカーだったのに「ファミコン」からえらい景気よぅならはってなぁ(笑)

ゲーム機「プレイステーション」ができた時も「大人がSONYプレステ、子供は任天堂ファミコン、DS」みたいなところがあったのですが、海外の老若男女が公園などでPokemon GOをしながら楽しそうに歩き回ってるのを見ると、任天堂も完全に世界に仁王立ちした感があります。

任天堂の歴史を振り返ってみる

任天堂は初代山内房治郎(1859-1940)が親元の石灰問屋の「灰岩」を1885年に受け継いで灰孝本店と社名変更し、セメントを売り始めたあたりから始まります。灰孝本店は現存しています。現社長は房次郎が高祖父にあたるのだとか。

実業家でもあり工芸家でもあった房次郎は灰孝本店のセメント事業と平行して山内房治郎商店(任天堂骨牌)を1889年に作り花札の製造販売を始めます。これが任天堂の始まり。

「頑丈な花札をつくってくれ」ととある業界の方に言われて作ったのが大当たりした、なんていう武勇伝もありますがはっきり書かないでおきます(笑)

トランプやカルタを本業にいていた頃の建物は今も残ってるんですよ。ある日仕事がちょっと早く終わったのでカメラ片手にブラブラしてきました。

昭和になってから建て替えられたらしいのですが、なんともモダンな建物。前の道路が狭すぎて建物がすべて収まらないのです。

入り口には二つの看板が出ています。

トランプ・かるたの製造元、山内任天堂とあります。丸に福というのは1947年に社名を丸福株式会社に変えた時の名残です。

今は創業家の資産管理会社の山内という会社の保有になっているそうです。

いつかは世界へ飛び立つことを夢見ていたんでしょうか、英語のプレートもカッコイイですね。

裏に工場があったと聞いたことがありますが入ったことはありません。横の道から写真撮りに行けたな、また行ってみます。隙間からちょっと撮った写真でご勘弁。

ここは京都の正面通で高瀬川にかかる橋。なぜ正面橋というかというと太閤秀吉が作った仏像のちょうど正面にできた道だから。大和大路通の方広寺を正面に西に伸びていきます。

この橋を越えた左側に先ほどの灰孝本店さんがあります。そんな由緒だったとは(さっき知りました)

正面橋から南を向いてパチリ。

この高瀬川沿い東側はかるた屋さんを始め紙に関するお仕事の会社がたくさん並んでいます。

かるたの松井天狗堂さんは2010年に閉店しはったそうですね。手摺りでかるたを刷るところはもう残ってないんじゃないかなぁ。と思って調べてみたら伏見の大石天狗堂さんに技術伝承はされたみたい!さすが!

大石天狗堂さんといえば全日本かるた協会公認の札を作っているところとして有名。ちはやふるで一気に名前が売れたような気がします。

正面通を東に抜けると鴨川。今日もゆるりと川がながれています。

Nintendo、でもやっぱり任天堂でもあってほしい

任天堂のホームページを見るともうゲームそのもの。マリオだポケモンだスプラトゥーンだとそりゃもう派手で明るくて楽しい。でもちゃんと任天堂だった名残を残してあるのもちょっと嬉しいよ。

世界の任天堂だけどやはり身近にあった任天堂も捨てられないです。今でももちろん販売されていますよ。

ちなみに旧本社、ここです。京阪七条駅から歩いたら結構近いのでぜひ散策してみてください。

2020年追記 旧本社ビルがホテルに改装されるそうです

読売新聞で記事を見かけました。

さきほどご紹介した本社ビルを改装し、ホテルとして2021年の夏にオープンさせるのだそうです。

改装については安藤忠雄設計事務所が設計を監修、外観などはなるべく残す方向で進んでいくようです。客室は約20部屋でレストランジム、温浴施設(サウナでしょうか)も宿泊者に提供するのだとか。

洋風建築で風情のあるホテル、オープンしたら人気が出そうですね!

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