水戸黄門は諸国漫遊してないけど「風車の弥七」はモデルが実在した

実在した風車の弥七の正体とは忍者のことだった

土曜日の昼下がり。会社の事務所で談笑中のできごと。

事務員の女子が「うちの母が歴女で」という話から始まり清水次郎長の話になったわけです。「清水次郎長は幕末の頃に実在して明治維新でも生き残ったよ」という話をしてたら「森の石松っていたんですかね」ってなったのでぐぐってみると・・・

森の石松は実在。ちなみに「風車の弥七」も実在の人物

と書いてあるのを発見。ここから森の石松よりも弥七に興味が移ってしまった。いやちょっとまて風車の弥七って水戸黄門に出てくる忍者。水戸光圀は諸国漫遊なんてもちろんしてないから。

元義賊の伊賀忍者で、徳川光圀一行が旅に出ると付かず離れずで行動する。風体は渡世人風で(単独行動の際、関所で鳶職として名乗ったことがある)第1部第1回から光圀に仕えており、光圀とは佐々木助三郎や渥美格之進よりも付き合いは長い。飄々とした性格で世渡り慣れしている。光圀一行の行く先を事前に情報収集したり、後から一行を追いかけていることから、別行動を取っていることが多い。忍者出身なので忍びの流派や忍術、火薬にも詳しい。なお、初期は光圀や助三郎と格之進からは通り名である「風車」と呼ばれていた。

風車の弥七 – Wikipedia

表に姿を見せず風車に手紙を結びつけて柱に「グサッ」と投げる弥七。あんた、簡単に水戸黄門を暗殺できるぜ・・・

行っていない諸国漫遊、忍者、実在するという風車の弥七の本当の姿とは何なのかをちょっと調べてみましたよ。

風車の弥七のキャラ設定とは

風車の弥七のようなチラ見キャラであっても過去の設定とかがちゃんとなされているのが水戸黄門らしくてよいです。

テレビ水戸黄門での風車の弥七のキャラ設定はざっくり以下のとおりです。

風車の弥七のキャラ設定とは

  •  名張出身で伊賀上野で忍術修行を行ったが今は義賊になった
  • 忍術修行をしたことで忍術、火薬、情報収集に優れている
  • 実は義賊の大親分であり、声をかければ子分が100人は集まるほど
  • 水戸黄門につかず離れず行動し、情報収集や戦闘時のフォローをするのが任務

ちなみにうっかり八兵衛は弥七の弟子。盗賊見習いで弟子になったもののスリを働いたのを助さん格さんに捕まった縁で水戸黄門のメンバーに入ることになったんだとか。

これは完全に脚本上のキャラじゃないかと思うんだけど・・・調べるまでもなく。

 実在した弥七の正体とは

すでにサイトが閉鎖されているのですがとある自治体のサイトにこんな文章がありました。

「水戸黄門漫遊記」は、光圀が名君であるが故に作られた物語ですが、そこに登場する風車の弥七は、実在の人物「松之草村小八兵衛」がモデルとなっています。

小八兵衛は優れた忍者であり、光圀のために尽力したことが、「桃蹊雑話」に書かれています。小八兵衛は、光圀の厚い信望を得て、隠密として陰の立場から光圀を護り支え、水戸藩領内の治安の維持と藩政の安泰のため、全力を尽くした人物であったと言います。小八兵衛の墓の傍らには、小八兵衛の女房「お新」の墓があります。

その「桃蹊雑話」という本がどんなものかというと、藤田東湖の師匠でもある石川久徴が書いた本で水戸初代の藩主威公から、六代文公までの水戸藩のできごとが書かれているそうな。

初代の威公というのが家康の11男徳川頼房のことで、その三男が水戸黄門こと徳川光圀。家康と光圀は確かにおじいちゃんと孫の関係ではあるけど、天下の副将軍と名乗る程ではなかったような。

やっぱりこれは幕末に水戸の徳川家の力を誇示するために後付された名前なのでしょうね。

「桃蹊雑話」にでてくる松之草村小八兵衛は忍者あがりの盗賊の頭領で、一度捕まるものの光圀によって罪が許されて雇われる身に。その義を感じて小八兵衛は隠密として治安の安定や情報収集役として光圀に仕えたそうです。

徳川光圀に仕えた元盗賊ということで諸国漫遊したらついていってたはず=風車の弥七のモデルになった、ということなんでしょう。

最後に

歴史って教科書で学ぶだけじゃないし日本の各地で生きているなぁと感じます。

高校生の時善住先生という歴史の先生から日本史を学んだんですが、その方のご先祖が織田信長を暗殺しようとした「杉谷 善住坊」なんだとか。暗殺は失敗し「信長の野望」では凡将扱いで悲しい。失敗後に磯野 員昌に捕まり首から下を地中に埋められて処刑されたとかなんとか。でも子供がきっと生き残っていたんでしょうね。

今善住先生はどうしたはるんかなと思ったら井伊家で有名な彦根市の教育委員長になられたとか。信長に鉄砲を向けた末裔が井伊家に使える・・とか考えると面白いです。

歴史は教科書や史跡だけにあるのではなく、意外と身近な所にあるものですね。