日本文学、古典の冒頭文を覚えていますか?
今さら古典なんて、と思うかもしれませんが2019年、こんなニュースがありました。
源氏物語で最古の写本発見 定家本の1帖「教科書が書き換わる可能性」
源氏物語の現存する最古の写本で、鎌倉時代の歌人・藤原定家による「定家本」のうち「若紫」1帖(じょう)が、東京都内の旧大名家の子孫宅で見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日発表した。定家が校訂したとみられる書き込みや、鎌倉期に作られた紙の特徴などから、同文庫が定家本と鑑定した。
歌人の藤原定家が古典の名作を写本したものが今もいくつか残されています。更級日記や土佐日記、そして源氏物語など。その中でも藤原定家が残した源氏物語の写本は定家本ともいわれ幻とも言われていました。それが令和の時代に見つかるとはなんと素晴らしいこと!!
実際に書かれた文章も見ましたが文字の運びがなんとも美しいのですね。感動しました。
さて、そんな令和より30年以上昔の昭和の時代。高校の時の古典の時間、先生にやたらと冒頭文を記憶させられました。
暗唱できるようになるまで椅子に座れず、古典の時間にひたすら立たされるというスパルタ式。今だったら虐待とかいわれるのでしょうか。でもあの時のおかげで冒頭文はすらすらと口から出るし、気がついたら大学は文学部国文学科に入っていました。(でも専攻は国語学にしたのは単に文学が苦手だったからです)
さて、すこし古典の冒頭文でも思い出しましょうか。
古典文学の冒頭を思い出してみる
『源氏物語』
いづれの御時にか、女御・更衣 あまた さぶらひ たまひける中に、いとやむごとなき 際にはあらぬが、すぐれてときめき たまふありけり。
『方丈記』
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。
『平家物語』
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
『奥の細道』
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
古典の文字の羅列とか、音の面白さとかは何度も読んでみると出て来るわけです。当時の古典の先生が冒頭だけでも覚えろと言ったのは「興味を持たせるため」だったのかなと思いますね。
作品にそれぞれ漫画版の紹介リンク(Amazon、楽天、ヤフーショッピング)をつけておきました。大まかなストーリーなどをざっと理解するのは正直なところ漫画が一番です。ストーリーが分かっていると学校の試験などでも結論がだいたい見えるので訳などもしやすくなります。
源氏物語にまつわるあるストーリー
さて、そんな源氏物語にまつわるあるストーリー。
大学には自宅から2時間近くかけて通っていたのですが、とある私鉄沿線にある高校の生徒とよく一緒になりました。ある日も僕が発車前の電車に座っていると真正面に女子高生二人が座りました。
「なぁ!源氏物語の冒頭のテスト覚えてきた?」
「ううん、始まる直前に暗記しようと思って!」
(いやいやどうせ短いんやから今覚えてしまったら良いのに)
「私でも直前は違うの覚えなあかんし今覚えてしまうわ」
(そやそや、頑張れ)
「ええっと、ええっと・・・」
「いずれのごじにか、にょごこういあまたさぶらいたまいけるなかに・・・」
(えっ?いま『ごじ』って言わなかった???)
「いや~ながいわ~私こんな長い文字覚えられへんどうしよう~」
「でも最初がでてくるとなんとなく後ろは覚えてる気がするなー」
「いずれのごじにか!いずれのごじにか!いずれのごじにか!よっし、完璧や!」
「あの・・・そこ、御時は『おほんとき』と書いて『おおんとき』と発音するんやで」と喉のこのへんまで出かかったんだけど、「何この大学生」と思われるのが嫌だったので教えるのを我慢しました。
まぁ確かに「御時」は「ごじ」とよめなくはないけど、古典文学の冒頭って音というかリズムというかメロディを楽しむものだと思うんですよ。
文学もそうだし英語もそう、文法は大事だと思うんだけどメロディというか音というかそういう味わいを学校はもっと教えてほしいと思う(暗記は辛いけど)歴史は断片で覚えずに勢いというか流れというか「歴史上の背景がこうだからこういうことが起きた」という風に覚えると暗記仕事にならなくて済むのに。
難しいと思われる古典もストーリーがわかるといろいろと面白いものです。
これは古典にでてくる人物の「えっ」というエピソードが書かれてる本。堅苦しく古典を勉強しながらこういう意外性を発見できるとまた面白いものです。
文学や日本史を教科書のように堅苦しく考えるからちょっと学問的で面白くないのです。日本史の教科書の後ろに隠れたちょっと「ふふふ」なストーリーなどから興味が沸くこともありますよ。